私が、なぜフランス王妃マリー・アントワネットの人形を作りたくなったか、 |
お話をしたいと思います。 |
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べべ人形のドレスの布をいろいろ探していた時、偶然手に入ったアンティックの布の中に、この布を使って |
貴婦人のドレスを作ったら本当に、ピッタリと思われる1860年代イギリス製の古い布地がありました。 |
そう、この古い当時の貴婦人のドレスをほどいた深い緑色に濃いピンク色の刺繍が施してある張りのある |
絹の布地を使って、誰もが知っているあのヴィジエ・ルブランの描いた有名な肖像画のマリー・アントワネット |
人形を作ったらどうかしらと、心がワクワクし制作しようと決めた事を覚えています。 |
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思いおこせば2001年の秋、14年前位になるでしょか、 |
パリ在住の娘のところを訪ねた折に、たまたま観光見学した、セーヌ川沿いにあるコンシェルジュリーの、 |
マリー・アントワネットが最後に幽閉された暗い牢獄を思い出しました。 |
まさか後にマリー・アントワネット人形を作る事になるとは、その時には思いもよりませんでした。 |
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そして、マリー・アントワネットの事を、もっともっと知りたくなりました。 |
まず、シュテファン ツバイク著「マリー・アントワネット」、遠藤周作著「王妃マリー・アントワネット」を |
読みました。オーストリアハプスブルク家皇女からブルボン王朝フランス王妃へ、歴史の奔流にのまれ、 |
革命の露と消えたマリー・アントワネットの生きたその時代の背景や、どの様な時代にどの様に生き、 |
運命に翻弄された一生だったのかを、私なりに少し知る事が出来ました。 |
又,数々のマリー・アントワネットを題材にした映画のDVDを鑑賞、ローズベルタン(マリー・アントワネットの |
モード大臣)ミシェル サポリ著も読み、更に別な角度から表わされている、マリー・アントワネットの人物像 |
や、1780年代のファッションを勉強する事が出来ました。 |
又そのころ、丁度タイミングよく宝塚100周年記念の宙組公園「ヴェルサイユのバラ」ーオスカル編ーを |
観劇する機会も得る事ができました。 |
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2013年、再度旅行でパリを訪れた時、マリー・アントワネットがこよなく愛したプチトリアノンやアモー |
(王妃の村里)を、観光見学に行きました。 |
そこには、ヴェルサイユ宮殿での、厳格でさまざまな堅苦しいしきたりからのがれ、清らかな空気の中での |
田舎暮らしにあこがれ造った、アモーの小さな農村の風景の中で、心癒されたマリー・アントワネット |
の姿を想像する事が出来ました。 |